実は。
ふくまる(生後3ヶ月🚹)妊娠中、切迫早産となり、妊娠5ヶ月で自宅安静を言い渡されました🚑
妊娠21週で、頸管長21ミリ。
安静って…❓
無気力で、食べることにしか気力が向かなかったつわりが落ち着き始め、
体を動かす気にもなり始めた矢先でした。
別にお腹が痛いわけでもないし、
とりあえず、走らないように気をつけるか。
それくらいに思いながらも、
安静
という言葉が気になり…
産婦人科医をしているわたしの親友に現状報告をしました。
【それはけっこう危ない。食事と洗面以外は横になっていること】
と言われました( ̄◇ ̄;)
3歳半のきんときと1日一緒にいてできることではありません💦
そこで、しばらく実家に居候して、病院に通うことにしました。
でも。
通っていたクリニックの先生から、
【入院になった時に、うちでは受け入れられないから、もっと大きな病院を紹介しますね。】
と言われて、
まぁ、安静にと言われていることやし、検診のたびに帰るのも大変やから、ちょうどいいか。
思いがけず里帰り出産かー。
と思っていましたが、
結局。
実家の近くで、NICUのある病院を探して、紹介してもらうことになりました。
もしもの時のためにNICUがあるところね、と産婦人科医の親友に言われて、ことの重大さを実感しはじめました…
もしもの時って…?
怖い想像が浮かびそうになりながら、
考えないようにしていました。
そして、コロナの影響で2週間自宅待機の後、紹介された病院に初めて検診に行きました。
すると。
【これは、今すぐ入院です。】∑(゚Д゚)
え、荷物取りに帰ったりも…?
【はい、だめですよ。さ、車椅子に乗って…】
その日は、きんときが週末にお父さんと過ごして戻ってくる日で、
わたしとは4日ぶりに会える日だったんです。
わたしが病院の診察から帰る時間と、ちょうどきんときが戻ってくるのと同じくらいかなーと思っていたのに。
え、このままきんときと会えないまま?
何も説明できないまま?
わたしに会えるの楽しみに帰ってくるのに?
コロナの影響で、入院中は面会禁止。
車椅子で病室に運ばれている間に涙が溢れてきました。
その時は、お腹の赤ちゃんの心配よりも、
きんときに会えないことが
信じられなくて
悲しすぎて
寂しすぎて
申し訳なくて
泣きました。
看護師さんが
急ですもんね。大丈夫ですか?
と言ってくれたのは覚えていますが、
あとは
どうしようどうしよう、
きんときごめんね。
大丈夫かな。
会いたいよー。
ぎゅっとしてほしいよー。
ぎゅーっとしてあげたいよー。
その繰り返しでした。
実家に帰ってから、
わたしは寝たきりで
なかなか遊んであげられないことを
理解して無理を言わずに
わたしのそばにおもちゃを持ってきて
遊んでくれていた。
体を冷やしたらあかんのやろ?と
お布団をかけてくれた。
夜寝る時には
ずっとそばにいるからね。きんちゃんがいるからね。
と抱きしめてくれた。
小さな手で、わたしのお腹をさすってくれた。
声が聞けないなんて
手をつなげないなんて(T_T)
その日から、わたしの入院生活が始まりました。
きんとき、主人、両親の生活も一変しました。
とてつもなく寂しくて、
どうしようもなく不安だけれど、
切迫早産を経験されているママは結構いらっしゃることを知りました。
私の周りの友達にも経験したママがたくさんいることも。
そして、わたしはとても優しさに溢れる友人に囲まれていることも知りました。
私の時もそうだったよ。
さみしいよね。
つらいよね。
でも、大丈夫。
お腹の赤ちゃんを守れるのはママだけだから、今は安静にすることだけを考えて。
きんときは周りの人が必ず愛情たっぷりに守ってくれてるよ。
1日1日、過ごすだけ。
友人たちの一言一言に、
勇気をもらい、
あたたかくなり、
強くなり、
先の見えない入院生活を乗り越えることができました。
そして、やさしさに包まれて、
ふくまるは予定日1週間前までお腹にいてくれて、
およそ3500グラムで元気に出てきてくれました✨
わたしのように切迫早産で不安な思いをしておられる方や、
経験して今を過ごしておられる方に
少しでも勇気を与えられたら、
共感してもらえたら
という思いで書きました。
入院中のことや、それにまつわるエピソードは今後紹介していきます。
どうか、たくさんのママと赤ちゃんが
にこにこしていられますように✨