金時が、マイクラに興味を持ち、やりたい!といったとき、
興味のあることはそのタイミングでとことんやらせてあげたいと純粋に思うと同時に、
プログラミングの知識もつけられるんちゃうん😏
と、オトナの先まわり損得勘定も出てきました💦
その矢先、テレビのニュースで、
『こんな感じで作りたい』と命令すれば、資料を集めたり、プログラムを作ったりできるエーアイがもうできる
とのことでした。
えーじゃあプログラミング学ばんでいいやん。
と思ってしまい😅
それより必要なのは、
機械が集めた資料が正しいのか、要るのか、判断する力。
できあがったプログラムはなんのためにどうして使うのがいいのか考える力。
読み書きはもちろん、自分で何かを生み出そうとする力が必要では?
そこで思い出したのは。
私は、金時が2歳のときに
英会話を習わせなば!
となんだか焦り出したのです。
私が教えてあげられないことは、誰かに教えてもらわないと。
英会話の耳は早い方がいい。
もう2歳で金時は幸か不幸か、バリバリ日本語マスターしてしまってる(関西弁で)。
そして、英会話教室に通い出し、某有名教材を購入しました。
その時主人が言っていました。
『金時が大人になる頃には、英会話なんてできなくても充分外国人とのコミュニケーション取れるように機械が発達してるで。』
私は
『機械を通してするコミュニケーションは真のコミュニケーションとちゃう!自分の言葉でやらな!』
と言い張り、そう信じていましたが…
それから4年。
英会話教室に通っていたことは覚えていない、
教材は福丸が楽しんでいるか、
基本荷物置きの部屋にあることすら覚えていない
金時です。
そして今の私は、
『技術は便利で使えるものは使うべき。英語だけじゃなくて、どんな言葉を話す人ともコミュニケーションが取れるなんて、機械最高!』
と思っています😅
英語を勉強する意味は、そこではなかったんです。
私が英語の先生として、ずっと子どもたちに伝えてきたのは、
『英語を勉強するのって、なんのためやと思う?
それは、プーさんを心から楽しむため。
私は大学生の頃、暇すぎて、くまのプーさんを原文で読みました。なんとかわいらしい表現!と感動しました。それは、意味を調べて日本語に直すだけではない、英語という言語を学んできた人にしかわからない楽しみ方、感動があったんです!その時、私は英語勉強してしてよかったー!と思った。
みんなにもそんな感動を味わってほしい。』
ということで、
それが本質。
きっとそれは、どれだけエーアイが発達しても変わらないことだと思います。
エーアイが発達してくれるからこそ、
私達はそういう本質を楽しんだり、磨いたりできるんだと思います。
だから、金時は純粋にマイクラを楽しめばいい。
きっとプログラミングを技術として学ぶことに意味はなくなるでしょう。
好きな人が好きなことを追求するために学ぶことで、それが本質。
私たちが受けてきた教育、
私たちが作り上げてきた価値観、
すべて時代とともに変わっております。
いま子どもが向き合っていることは、
なんのためにやっているのか?
誰のために?
意味のあること?
意味のないこと?
習い事も
学校の勉強も、
ゲームも、
スマホも、
人付き合いも。
大人の私たちとは明らかに違う時代を生きている子どもたちを、
今までの凝り固まった目で見ないようにしていきたいと思うし、
多くの大人にそうあってほしいと思います。
マイクラ。
とりあえず私みたいな大人にはムズカシイ
ということは、間違いないです。